震災から2ヶ月後の大槌の画像no.3 浪板観光ホテル。

最後に浪板観光ホテルを見ないと帰れない!と
バイパスを走りました。

途中は吉里吉里になりますが
そこももちろん何もない状態でした。

吉里吉里の浜はなだらかで海水浴にはとてもいいところでしたのに。
何もなくなってしまいました。



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ホテルが見えてきました。
外からは何事もなかったかのように建っていました。

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近づいて上だけ見れば前と変わらない感じですが・・

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駐車場から下りていくとまたひどい状態が見えてきました。

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ここがどうなっていたかも忘れてしまいました。

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海の方だけ見ると何事もなかったようです。

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この惨状を見たくなかったような気がします。

そこで瓦礫撤去している作業員さんたちがいました。

不審者と思われても困るので
ここの親戚だということを告げました。

そこにいたオジサンは、このホテルで民謡を踊ったり
ラーメン屋をやったりと
ずっと関わってきたと言っていました。

私は写真を撮って物思いにふけっていましたが
両親と伯父さんはこの方から話を聞いていました。

私も一緒に聞いていればよかったと思いましたが
写真撮ってる間にもう話は終わっていました。。

その内容です。


一番知りたかったのはここの社長さんがどうやって流されたのかと。

お客さんを誘導して

社長さんは弟とさんと事務室にいました。
ここにはこないだろうと言っていたそうです。

どこもそんな話ばかりですよね。
こんな津波は見たことがないのですから。

そこへ突然大津波です。
ドカンときた水に弟さんの方は後ろにある物にぶつかって柱か何かに掴まったらしいです。

目の前で社長さんは流されたと言っていたそうです。。


誰もが考えられないことでした。




弟さんは今吉里吉里の避難所にいて
ここのホテルに来てはこの人たちの指示をしているという話でした。

この日はその弟さんは大槌にいないと言っていたので
会えないで帰ってきました。



どの記事やブログを見ても
ここのホテルでの誘導の素晴らしさと
暖かさで感謝いっぱいの記事ばかりでした。

社長さんが流された話はどこにもなく・・

この場に来て始めて本当のことが聞けたのです。
盛岡ではいろんな話で噂しているようでしたが

こういう事だったのですね。



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海が目の前です。

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波がそこまでくるのが特徴の波板海岸です。
流れ着いた車がめちゃくちゃになってそこにありました。

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海は綺麗でした。

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遠くを見ればなにごともなかったようにそこに島がありました。

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今は海が怖いと思っています。
ずっと眺めてみましたが、好きと怖いとが交差した感情でした。

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裏に神社があったと思って見たところにはなにもありませんでした。
これはお風呂ですね。

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林が残っていたのが嬉しかったです。
道沿いに積んである土留めがこの次何がくるんだろうと思わせたものでした。

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林だけ見ると懐かしい昔のキャンプ場が思い出されます。

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ここが1階部分なんて信じられません。



みんなで肩をおとして車に乗りました。

焼けて無くなった家と

津波でやられたホテル



これから先どうするんだろうとか

どうやって暮らすんだろうとか

私たちが想像してもしょうがない話をしながら盛岡に帰ってきました。



復旧っていう言葉が本当にあるのだろうか


新しい町という空想が

本当にあるのだろうか




今2ヶ月の大槌を見た私は

何をすればいいんだろうかと



心の中をえぐられたような思いで
どこか空っぽになっている自分があります。

とにかく元気でいよう!と人には語っているくせに
自分ひとりになると悲しい思いが溢れてきます。

現状を見てきてよかったんじゃないかと
両親と共に言いながら




今を生きよう!生きなきゃいけない!と思い

わなわなとした心を奮い立たせて頑張ります!


私でできる精一杯のことをします。




私の大好きな大槌です。

どうか復興が早く進みますように!!







        妙恵。













この記事へのコメント

manabonz
2011年08月22日 14:03
浪板観光ホテルをネットで検索していてこちらのブログにたどりつきました。
私は浪板観光の娘女将 山﨑緑莉さんの高校、大学の後輩で大変お世話になっておりました盛岡の者です。
山﨑家のご親戚なのですね。
心よりお悔やみ申し上げます。
緑莉さんはまだ行方不明との事ですが、先日お姉さまの弥生さんとお話する機会があり、緑莉さんが津波に遭われた状況が、ほんの少しではありますが分かりました。
あのエレガントでダイヤモンドのように輝く緑莉さんともうお話することが出来ない…と思うと、悔しくて、哀しくて、涙が止まりません。
2011年08月23日 08:21
manabonzさん、コメントありがとうございます。
私の母はみどりさんと従姉妹になります。
震災の時は仕事を休んで自宅にいたようだと聞きましたがそれ以上は私も母もよくわからないんです。
ホテルにいればお客さんと一緒にいれば助かったかもしれませんね。

行方不明という言葉が哀しいです。はっきりしないというのは心のどこかでまだ生きてるのではないかと思ってしまうと母も言いますが・・・。
わたしにとってみどりさんは素敵な憧れのお姉さんのような存在です。
manabonzさんはみどりさんと親しくしていらしたということでよけい哀しいですね。。
こんな形で終わる人とは思えないですもんね。

本家がなくなりすっかり寂しくなってしまいました。
今は本当にみどりさんと竜太郎さん他、被災した人たちが楽になってほしいと願うばかりです。
manabonz
2011年08月25日 11:14
妙恵さんのおっしゃる通り、こんな形で人生を終える方とは思えないです。

いつかみどりさんがこんな風におっしゃった事がありました。
「私は、一人暮らしでしょ。年取ったら誰も面倒見てくれないじゃない。だから、健康でいなきゃいけないわよね。もし、施設に入る事になるとしたら、髪の毛はバッサリ切られて、好きな洋服も着られなくなるのよ。」って。
そんなみどりさんは、見たくないよ~!って言いました。

どんなお姿であっても、みどりさんに生きていて欲しい!と心の底から思います。
でも、その反面、老いていくみどりさんを想像できず、美の頂点で私達の前から去って行ったみどりさんも、また「みどりさんっぽいな…」と考えたりして。

私の心に整理がつくのは、まだ先の事になろうかと思います…。

中太田は私の自宅からさほど遠くない場所。
いつの日かお訪ねしたいです。
2011年08月26日 11:47
manabonzさん、私はみどりさんと親しく話したことはないので是非母や祖母(みどりさんの父の妹)に会ってもらって生前のみどりさんの話を聞かせてやってください。
祖母96歳は盛岡と北上に行ったり来たりで住んでいます。
今、市議会選挙で母の従兄弟じゅうが集まっています。
おととい私もその場にいましたがみどりさんが亡くなったのは哀しいけれど、美しく綺麗なうちに終わってよかったかもしれないということにしました。もし津波で生き残っても避難生活なんてできないでしょうし、若いうちでよかったんじゃないか、そう思わないといられないとみんなが言っていました。
そしてやはり誰もみどりさんが老けていくのが想像できないと言っていました。

気が向いたらご一報ください。
私はいつでも家におりますから。
どうかmanabonzさんの心が落ち着きますように。