呑香稲荷神社 大作神社 九戸政実神社(二戸市福岡)

呑香稲荷神社(とんこういなり) 
大作神社 
九戸政実神社(くのへまさざね)    〒028-6101 岩手県二戸市福岡字松ノ丸21番




3つの神社が境内に一緒にあります。

南部氏の幼君の疱瘡が、枕元に立った「稲荷大明神なり」と告げる白衣白髪の老人のおかげで平癒したことから、 呑香稲荷大明神というそうです。

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鳥居が立派です。
この呑香稲荷さんという名前はよく聞きます。
お祭りが盛んなところですよね。

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 二戸市指定有形文化財(建造物)
           
          槻蔭舎(きいんしゃ)(会輔社学舎)
 
             所在地    二戸市福岡五日町29番地
             指定年月日 昭和44年5月15日

 安政5(1858)年、萩の小倉謙作(鯤堂)(こんどう)が当地を訪れた際、和漢学の講学を目的として、呑香稲荷神社祠官小保内孫陸(まごりく)と設立したのが会輔社である。さらに万延元(1860)年水戸の吉田房五郎(弗堂)(ぶつどう)が福岡を訪ねた際、社規を創り役員を指名、会輔社としての組織を整えた。社長を小保内孫陸、岩館民称とし、小保内定身(さだみ)、田中舘禮之助が主としてその経営に当たった。槻蔭舎は孫陸の茶室で、会輔社の講義はここで行われたのである。
 会輔社の名前の由来は「君子曰以文会友以友輔仁」という論語の一節である。
 明治11(1878)年、定身を中心とする会輔社社員は私学校である会輔社学校を設立し、近代社会学を必修科目にとりいれた。その活動は当地において青少年の育成に甚大な影響をもたらしたことはいうまでもなく、後年県下に先んじて福岡中学校の設立を見るに至ったのも、教育、政治、産業の各分野にわたって幾多の偉人を輩出したのも、その礎をここ会輔社にみることができる。

            二戸市教育委員会

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鳥居をくぐってさ~上がりましょう。

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一休みしたい気分を抑えての紫陽花が綺麗です。

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お社も立派です!ここはお殿さまが必ずお参りするところだったようです。

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「稲荷社」とあります。






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呑香稲荷から右横を向きますと「大作神社」が奥にありました。白い建物は稲荷文庫です。

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大作神社のお堂です。

幕末に津軽公襲撃未遂事件を起こした相馬大作を祭った大作神社だそうです。




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その脇には小さい祠がありました。

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こちらは崖の方にあった祠です。

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屋根とか壊れそうですね。

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「北白川宮成久王殿下御参拝記念碑」だそうです。
明治天皇の第7皇女周宮房子内親王と結婚した人らしいです。
知識なくてすみません。





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こちらが「九戸政実神社」です。
ちょうど貸してもらった本がこの九戸政実のことから始まります。
ここに行った後で読んでますが、すごく本が楽しいものになりました。
南部家と争った人で反逆罪としてすべて血筋を無くされた人なのでここに神社があるわけないのです。
最近になって建てられたのではないかと判断します。

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    九戸政実神社

九戸誠実が斬首された三の迫(宮城県栗駒町)の九戸神社から分霊して九戸城二ノの丸跡にも同神社が建立されましたが、老朽化等に伴い平成13年にこの場所に移築新築されました。 
          九戸城を活かす会
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隣に安養寺があったのですが
こことつながっているのでしょうか。
九戸城の「松の丸跡」から境内へ続く急な石段だそうです。
上がって見ればよかったと今更後悔です。

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稲荷神社の左横に伏見稲荷のような鳥居がたくさんあるのが見えました。

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この鳥居が気持ち悪いという人がいますが私は大好きなのです。

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その先に何があるのか知りたい人なのです。

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当然お稲荷さまでお狐さんがたくさんおりました。




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「稲荷文庫」
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     稲荷文庫(いなりぶんこ)

 文久2年(1862)、呑香(とんこう)稲荷神社境内に設置された盛岡藩最初の私設図書館です。
 書籍購入のため、稲荷無尽講(むじんこう)を立て、その費用に充てたそうです。
 稲荷文庫は、二戸地方の人材育成と地域の振興を目指した会輔社の活動の一環として開かれ、会輔社の社員やその子どもたちに図書を貸し出しましたが、次第に周囲の村々の人々も利用するようになりました。
 蔵書は和漢書数千巻と称され、利用者は馬を仕立て、遠くは秋田県鹿角地方にまで及んだと云われています。
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    六角御輿(ろっかくみこし)

 呑香(とんこう)稲荷神社は社伝によると、延歴20年(801)または承和年間(834~)の頃、出羽国の大物忌(おおものいみ)神社を勧請(かんじょう)したのが始まりと云われ、天和二年(1682)、小保内源左衛門が霊夢により現在の地に遷座したと伝えられています。
 藩政時代は盛岡藩の祈願所となり、例祭は千石格式で数十名の武士が前後を警護し、神輿渡御(みこしとぎょ)(お出かけ)が行われていました。
 この神輿は宝暦13年(1763)、第34代藩主南部利雄(としかつ)公が寄進したと云われ、形状的にも珍しく貴重なものです。

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田中舘愛橘博士碑文



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それでは下がりましょう。
ありがとうございました。



    妙恵。

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