妙全物語 第九話 仕事として

結婚してから妙全は、ハワイのおばあさんのところで
拝みに通っていました。

問題は飲み過ぎる夫をなんとかしたいという事からでした。

毎月のご縁日がやはり15日にありました。
時間がない妙全は家で天ぷらを揚げたり、煮物を作っていったりして手伝っていました。

ハワイのおばあさんには、相談者がたくさん来ていました。
そして弟子がたくさんいました。
妙全はその弟子のうちのひとりでした。

今振り返って考えてみるとおばあさんの一番弟子だったと自分で言います。

ハワイのおばあさんは毎年高崎観音にお参りに行き
善光寺も毎年行っていました。
もちろん妙全も付いていっていました。
今と違って電車です。
息子をおんぶして荷物を持ち、大変な旅行だったといいます。

本町にいたご詠歌の先生のところにも妙全が大きな重い数珠をかかえて
バスに乗って付き添っていました。

ハワイのおばあさんはバスに乗って
「こんな弟子がいたらいいな~」と言ったそうですが
その願いが叶ったのではないかと妙全は言います。


ハワイまでバス代が30円、秋刀魚が家族分買えた時代です。
上飯岡まで歩いて行ったそうです。

真面目に毎日阿弥陀さまを拝み、いつもハワイの家に通ってお手伝いして
一生懸命生活していました。


そのおばあさんが十勝沖地震があった時に
地震で観音さまが落ちて割れて
その時から寝たきりになりました。
歩けなくなったのです。

妙全は下着まで洗濯してあげたり、看病に通いました。
寝たきりでもバスを借りて高崎観音さまにはお参りに行きました。

病院に入ってる時は、おばあさんの代わりに妙全は相談してあげました。
弟子がたくさんいましたが、愚痴をこぼさない妙全は身を粉にして働いたのです。

高崎観音さまの住職橋爪良全さまと、その関係でご詠歌の先生の田中章道先生が
「資格を取らないといけません」と何度も教えてもらっても
なかなか高野山に行くことができませんでした。
まずはお金がありません。

妙全は高野山に行く為に一生懸命働いたのです。


不定期につづく。

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